【「里海」の主体を考える視点】
わたしは、実は、香原さんから里海ということばを聞いたとき、そのことばをすなおには受け入れる受容力を持ち合わせてはいなかったのです。
当時、漁業権と入会権と海の利用と管理について考えていたわたしは、「漁業権」の主体者を「海の守り人」(MORIBITO)と位置付けて、漁村と漁協の役割について「海の『守り人』論」(浜本幸生編著)という本を出したばかりのころだったのです。正直いえば、「里海」の表現には違和感を感じてしまったのです。
つまり、「里海」を想定したばあい、その「里海」の管理や利用の主体者の権利の内容が曖昧になりはしないだろうか、という懸念がありました。さらに、漁村と漁協と漁業者が、漁業権という権利をバックボーンに海沿いのエリアの環境をも含めて管理と利用の“リーダーシップ”を握って「海を守る」担い手として位置付けよう、という考えに、わたし自身が少々凝り固まっていたということもあるのかもしれません。
しかし、漁業という産業が苦境に立たされ続けている現状にあって、海沿いのムラは、この10年の間に、さまざまなかたちで変わリ続けています。
これまで、つい、わたしが訪れてきた30年前、20年前の昔の姿を残したままの漁村モデルのみを想定して、そのモデルのなかでの漁協、漁業権の果たす役割を考えがちでしたが、もうこんな悠長なことをいっていられない事態にまで変化してしまったのだということに気づきました。理論は理論として、現行法制度の中で正当に漁業権が機能していくべきであるとしても、よく考えて見れば、「守り人」論のモデルが当てはまる漁村ばかりを想定して対応できる現状には、もはやないのではないかと思うようになりました。 |
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