里海WEB講座・特別編集編

里海【SATOUMI】って・・なあに?

MANA・中島満

【高知県柏島の“里海”運動について】

○金萬さんから送られてきたSATOUMI(里海通信)にも紹介されていた通り、11月28日(日)午後11時30分からのテレビ朝日「宇宙船地球号」という番組で「土佐の熱血先生、里海づくり奮戦記」で神田優さんの話が放映されました。神田さんが「里海っていうのはそんなに難しいこととは違う。少し昔あった海と人の暮らしを今も同じように繰り返していることなんです。」ということばにとても深い意味を感じました。
○実は、ぼくは、この番組で紹介されている「土佐の熱血先生」神田優さんに、ことしの8月に「里海」の話をききたくて、柏島まで訪ねていって、インタビューしてきました。その時の、インタビューは、「漁協の共済」というJFグループ共済の広報機関紙の「リレートーク」(10月号)という頁に、この連載メモとおなじ「里海って何だろう?」というタイトルで載せました。僕のホームページにもhttp://www.manabook.jp/hama18satoumi_kandamasaru.htm
として載せましたので、参考にして読んでみてください。
○神田さんは、魚類学の研究者として、高知県宿毛市からさらに南に20キロ近く下った柏島周辺海域をフィールドとして通いつめ、やがて「柏島をまるごと博物館に」というフィールドミュージアム構想を作り上げ、NPO「黒潮実感センター」を立ち上げます。彼の活動は、島が埋立てなどの開発にさらされたから島の自然を守ろうという「反対運動」がきっかけとなって展開される「自然や環境の保護」運動とは、少し異なったアプローチから島の環境を見つめなおしました。
○神田さんは、僕のインタビューのなかで「黒潮実感センターは、柏島の豊かな自然環境だけでなく、そこに住むひとたちの暮らしを含めて、“島をまるごと博物館”(フィールドミュージアム)としてとらえ、この島を拠点にして、“環境保全”や“環境教育”とともに島の人に役立つ“調査研究”をはじめとする活動を行いながら、こうして得られた研究成果や情報などを提供し、結果として島という地域の暮らしが豊かになる“地域振興=島おこし”のお手伝いをしようということなのです」と話しています。そして、こうした活動の総合したことばとして「持続可能な里海づくり」というとらえ方をしています。その「里海」について、神田さんは、じつにユニークな、しかも鋭い表現で言い表してくれました。
○「人の暮らしを最大限便利な方向に向かうベクトル(力=矢印)と、その反対にベクトルが働く自然保護があるとすると、その間を揺れ動くのが「里海」でしょう。」
○「ゆれうごく」なんて、お役所的な「地域振興」としての「ムラやマチおこし」では聞くことのできない、なんとも言いえて妙のことばですね。以下翌日のメモに、もうすこし、神田さんの里海の定義についてのお話を紹介しましょう。



○神田優さんが「里海」ということばを使うようになったかついて、僕のメモから、もう少し紹介しておくことにしよう。28日に紹介した「里海ってなんだろう?」の文章は、神田さんにも読んでもらっていますが、ここで紹介するコメントは、さらに里海を理解するために、僕のノートからの整理したものですから、文責はMANAにあることをお断りしておきます。
○《それでは、なぜ、「里海」ということばに行き着いたかというと、世界中に、ダイビングスポットに適したきれいな海はいくつもある。でも、そういうところは、ダイビングボートにのって何十分か時間をかけて、そして人が誰もすんでいない場所の地先にいって潜る。潜れば、美しい海がそこにはあります。しかし、言い方を変えればあたりまえのはなしなのです。》
○《柏島はなぜ里海なのか。そしてダイビングスポットとしてなぜすごいのか。メインスポットとなるウシロハマというところは、柏島の裏側に位置し、岸からすぐはじまり、数十メートル先には、非常に人なつっこいサカナたちがたくさんいます。》
○《人の暮らしがある場所に隣接して、そんな海があるというのは、あんまりないんじゃないか。つまり、この海、そしてたくさんいるサカナたちをとりまく環境があるということは、島で暮らしてきた人々が、これまで、意図的であるとか、無意識かは、わからないが、ある意味で(結果として現在につながっているという意味で―MANA)海をだいじにしてきたわけです。いいかえるなら、海とのよい関係をはぐくんできたということなのです。これが「里海」につながると思っています。》
○《では「里海」とはどういうことでしょうか。この島は、ガラパゴスのような無人島でも、絶海の孤島でもない。島といっても橋がかかり人が行き来し、昔から人が暮らす生活が成り立っているところなのです。》
○《環境を保全するということだけでは、“隔離”して、人がいなければやりやすいわけです。サンクチュアリ的に捉えれば、それはそれでうまくいくかもしれない。しかし、この島には、元からずっと人が住んでいます。しかも、島の周りにはよい海がある。ということは、(サンクチュアリ的な)環境保全だけを叫んでいてもムリ。この環境を生かすのも、守るのも、そして、つぶすのも、人の暮らしが密着している柏島を、どうやって、今後“維持”していくかということなのです。》
○さあ、ここからが神田さんの“ゆれうごく”“ファジーな”里海論が展開されます。
○《里海というのは、「人間生活」を最大限便利な方向に向うベクトル(力の向う矢印―MANA)が、こちらにあるとします。そして、まったく反対にベクトルが働く「自然保護」がこちらにあるわけです。つまり、この間を揺れ動くのが「里海」です。》
○《里海は、一点ぴたりと定まったものではなく、自然環境と人の暮らしによって、右にも、左にも動く“ファジー”(あいまい。柔らかな揺れ動き)な関係です。そんなところにあるのが「里海」ですから、あんまり人間生活を優先させて、便利な方向にベクトルが行き過ぎると、こんどは、環境を復元する力がなくなるところまでいってしまう。そうすると、そこは、もう「里海」とはいえなくなってしまって、単なるリゾートエリアになってしまいますし、また、立ち直れない“海”になってしまう。》
○《ですから、それぞれ(「便利な暮らし」⇔「里海」⇔「環境保全」)の、どこまでがどうで、どこまでがこうなのだ、ということを、つねに、島にすむ人たちと一緒に考えていこう、ということが、「持続可能な里海づくり」の考え方なのです。》
○どうでしょうか、なんとなく「里海」の輪郭がつかみかけてきたとおもいます。

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