○神田優さんが「里海」ということばを使うようになったかついて、僕のメモから、もう少し紹介しておくことにしよう。28日に紹介した「里海ってなんだろう?」の文章は、神田さんにも読んでもらっていますが、ここで紹介するコメントは、さらに里海を理解するために、僕のノートからの整理したものですから、文責はMANAにあることをお断りしておきます。
○《それでは、なぜ、「里海」ということばに行き着いたかというと、世界中に、ダイビングスポットに適したきれいな海はいくつもある。でも、そういうところは、ダイビングボートにのって何十分か時間をかけて、そして人が誰もすんでいない場所の地先にいって潜る。潜れば、美しい海がそこにはあります。しかし、言い方を変えればあたりまえのはなしなのです。》
○《柏島はなぜ里海なのか。そしてダイビングスポットとしてなぜすごいのか。メインスポットとなるウシロハマというところは、柏島の裏側に位置し、岸からすぐはじまり、数十メートル先には、非常に人なつっこいサカナたちがたくさんいます。》
○《人の暮らしがある場所に隣接して、そんな海があるというのは、あんまりないんじゃないか。つまり、この海、そしてたくさんいるサカナたちをとりまく環境があるということは、島で暮らしてきた人々が、これまで、意図的であるとか、無意識かは、わからないが、ある意味で(結果として現在につながっているという意味で―MANA)海をだいじにしてきたわけです。いいかえるなら、海とのよい関係をはぐくんできたということなのです。これが「里海」につながると思っています。》
○《では「里海」とはどういうことでしょうか。この島は、ガラパゴスのような無人島でも、絶海の孤島でもない。島といっても橋がかかり人が行き来し、昔から人が暮らす生活が成り立っているところなのです。》
○《環境を保全するということだけでは、“隔離”して、人がいなければやりやすいわけです。サンクチュアリ的に捉えれば、それはそれでうまくいくかもしれない。しかし、この島には、元からずっと人が住んでいます。しかも、島の周りにはよい海がある。ということは、(サンクチュアリ的な)環境保全だけを叫んでいてもムリ。この環境を生かすのも、守るのも、そして、つぶすのも、人の暮らしが密着している柏島を、どうやって、今後“維持”していくかということなのです。》
○さあ、ここからが神田さんの“ゆれうごく”“ファジーな”里海論が展開されます。
○《里海というのは、「人間生活」を最大限便利な方向に向うベクトル(力の向う矢印―MANA)が、こちらにあるとします。そして、まったく反対にベクトルが働く「自然保護」がこちらにあるわけです。つまり、この間を揺れ動くのが「里海」です。》
○《里海は、一点ぴたりと定まったものではなく、自然環境と人の暮らしによって、右にも、左にも動く“ファジー”(あいまい。柔らかな揺れ動き)な関係です。そんなところにあるのが「里海」ですから、あんまり人間生活を優先させて、便利な方向にベクトルが行き過ぎると、こんどは、環境を復元する力がなくなるところまでいってしまう。そうすると、そこは、もう「里海」とはいえなくなってしまって、単なるリゾートエリアになってしまいますし、また、立ち直れない“海”になってしまう。》
○《ですから、それぞれ(「便利な暮らし」⇔「里海」⇔「環境保全」)の、どこまでがどうで、どこまでがこうなのだ、ということを、つねに、島にすむ人たちと一緒に考えていこう、ということが、「持続可能な里海づくり」の考え方なのです。》
○どうでしょうか、なんとなく「里海」の輪郭がつかみかけてきたとおもいます。 |